プロフィール

るにおくん

るにおがどんなやつか説明するゾッ!!

サイト運営者「るにお」についての自己紹介記事です。
生い立ちや夢も書いていますので、最後までご一読下さい。

るにお
  • 平成2年生まれ(B型)
  • 芝浦工業大学工学部建築工学科卒業
  • 元 大手ハウスメーカー設計士
  • 一級建築士/インテリアコーディネーター

大学卒業後大手住宅メーカーへ就職。
設計士として30件以上新築戸建て住宅を手がけるも、大人たちの「死んだ魚のような目」に将来を悲観する。

そこから死ぬ気で一級建築士の勉強し、2年後に晴れて試験に合格する。
そして2018年9月同社退職。

野望は「退職した会社をスポンサーに付けること」

座右の銘「後悔しない人生を!

 

得意・好きなこと
  • ギターで弾き語り
  • 食べ歩き
  • 英語が好き

 

るにおくん

るにお自伝を書いてみたゾ。幼少期から今、未来に向けて「夢」も書いてみたから読んでくれよナッ!!

2歳の時に父親を亡くす

るにおは母と弟の3人家族で育ちました。
2歳の誕生日を迎えて間もなく、父親は仕事場で突然倒れそのまま帰らぬ人になりました。
原因は、脳出血だったそうです。

2歳というとやっと一人で歩けるぐらいで、言葉もろくに話せない年頃ですから、当然父親の記憶何全くありません。
母親に写真を見せてもらい「あぁ、この人が自分の父親なのか」と人ごとのように理解をするだけです。

当時2歳年下の弟は生後3週間だったようなので、なおさら記憶なんてありません。
ですから、それから26年間一人暮らし期を除けば、るにお家はずっと3人家族です。

しかし幸いな事に僕らはそのことをあまりコンプレックスには思っていません。
というのも母親が自分たちを不自由ないように育ててくれたからだと思います。
振り返れば色んな衝突もありましたが、朝早くから夜遅くまで仕事でいつも家にはいない母親の姿を見て僕らは育ちました。

 

自分が育った境遇は今の自分の生き方や感じ方の根底にあるように思います。
これは無意識ですが、おそらく誰しもがそうです。
自分の半生を振り返っても原点はいつもここだし、これからもずっとそうだと思っています。

ワンパクボーイから根暗へ

記憶が鮮明にあるのは小学生に上がってからです。
低学年の時にはとにかくワンパクで、誰かを笑わせることが大好きでした。
そのため授業参観で赤い折り紙を鼻に詰め「鼻血ー!!!」と教室中を駆け回っていた記憶があります。

完全にワンパクですよね。笑

この時は明るい少年で、高学年になってもドッヂボールが大好きな元気はつらつ系小学生でした。
そんなるにお少年も中学生になると思春期を迎え、どんどん根暗になっていきます。

 

勉強を頑張ればどうやらいい会社に入って、いいお給料がもらえるらしい」ということを耳にして、自分が頑張れば母子家庭だったるにお家をお金持ちにできるかもしれない!
そんな考えを持つようになったのもこの頃です。

しかし不思議なことに当時意識してたのが、とにかく目立たないことでした。
これが思春期というやつです。

 

今でも忘れない苦い経験があります。
中学生2年生の時に、当時クラスのマドンナ的存在だった女の子とメールのやり取りから奇跡的に付き合うことになりました。
しかし周りに感づかれるのが嫌で、秘密の文通を続けてた結果、2週間で彼女にフラれてしまったのです。

原因は「彼女が思ってた恋愛とは程遠い」とのことでした。

それはそうですよね、デートなんて一回もしてないし、ましてや一緒に下校するなんて青春ドラマみたいな展開はあるわけない!
むしろほとんど直接言葉を交わしたこともないくらいです。笑

この時が人生最大の根暗期でした。

ギターと音楽の出会いそして人生最初の挫折

ギターを始めたのは高校受験が終わったタイミングでした。
憧れのアーティストがギター一本で弾き語りをしている映像を目の当たりにして「自分もできるようになりたい!」と熱望して1週間でなんとか弾けるようになりました。

夢中になれるってすごいですね!
学校以外の時間はほとんどギターを弾いてました。
指なんか皮むけまくりでズタズタだったけど、上達していくのがただ楽しかった。
そして偶然にも中学生からの知り合いと同じ高校に入り、ユニットを組むことになります。

コブクロが大好きで、金曜の夜には毎週二人でよく路上で歌ってました。
学祭や催し物では「常に舞台で歌ってる人」で、根暗だったるにおは徐々に目立つことに抵抗がなくなっていきました。
そんな高校時代はまさに音楽に費やしたと言えます。

というわけで、音楽漬けだったるにおは見事に大学受験に失敗します。
これまで「いい会社に入る!」と勉強を頑張り続けてきたるにおの人生最初の挫折となりました。

浪人時代-自分と向き合う-

高校は私立の特待生で入学してましたが、勉強をサボりがちになり、3年生を迎えても危機感なく、マイペースに勉強していました。
今振り返れば「まぁ当然といえば当然」の結果です。

しかし中学生の頃夢中で勉強していたこともあり「勉強を頑張れる自分」にひどくプライドを持っていたため、自分が周りより勉強が遅れてることを認めたくなかったのだと思います。

有名大学に当然すんなり入るつもりでいたし、それ以外は「人生終わりだ!」とさえ思い込んでいました。
結果自分が志望していた大学にどこも受からず、この時は人生どん底状態でした。

 

しかしここが人生で1つのターニングポイントになります。
やれば上手くいくという勝手な思い込みを払拭し、再度親に懇願して浪人されてもらい、2度目の受験へ…
そしてやっとの思いで、自分の納得のいく結果を手にすることができたのです。

自分のポジションを俯瞰し、認めること」そして「人の意見や考え方を取り入れてみること」をここで学びました。
浪人生活はほぼ365日の拘束でつらい時期でしたが、これからの生き方に影響を与えてくれた時期だと感じています。

カゴから放たれた鳥の様に躍進を果たす大学期

こうして挫折を味わったるにおは、 広い視野と、少しの打たれ強さを携えて大学生へと進みます。

「幼い頃に父親を亡くし、母親一人で育てられたこと」、「浪人時代に人一倍の努力と自分と向き合うこと」を経験したため、この頃には今の原点にもなるハングリー精神が生まれていました。
私立大学ということもあり、周りにはいわゆる「ボンボン」で金銭的な苦労を感じたことのない人が多かったため、入学時には「こいつらには絶対に負けたくない!!」と強い思いを抱いていました。

工学部の建築系学科という理系の道を歩んだわけですが、結果的に大学院へは進学せず大学4年間で就職します。しかしこの濃密な4年間は今の、そしてこれから先の自分を形成した大きな時期になったと言えるでしょう。
その中でも、海外経験人間関係が キーワードと言えます。

人生観と英語の興味を強めた海外経験

幼少期から英語に触れる機会があり、受験科目でも得意分野だった英語ですが、実践レベルでは実際全く使い物にならない程でした。
しかし人生観への大きな影響と、英語をもっと好きにさせたのはこの海外経験です。
大学4年間の中で、8カ国の経験と、イタリア、フランスの建築学生との合同ワークショップに参加しました。
中でも印象に残っているのが、イタリア人の一言です。

日本人の働き方や休み方はクレイジーだ。私たちは夏にはバカンスで1ヶ月仕事なんてしないし、毎日遅くまで働いてる日本人は家族を大事にしないの?

常識を常識として鵜呑みにしてはいけない、周りに流されないという生き方をこの時強く感じたことを鮮明に覚えています。

そして経験を積むほどに英語力を向上させたいという思いが強くなっていきます。
決定的だったのが、アメリカの長期滞在です。

留学中の友人の元へ訪れ、2週間以上の滞在で、彼のシェアハウスからサンフランシスコの文化を学びました。
レジでは店員さんが必ず「今日はどんな1日だった?」と話しかけてくること、週末はみんなホームパーティ開くこと、町中で薬物のやりとりが日常的に行われているオークランド では、黒人の浮浪者に罵られながら追いかけ回されたり、、、
とにかく貴重な経験をしました。笑

本場の英語と文化を学んだるにおはここから英会話を猛勉強します。
英語が好きなのはこんな経験があったからだと思っています。

コミュニケーションが豊かな人間関係を作る

1年間鳥かごの中にいたるにおは、いわゆる「大学デビュー」を果たします。
浪人経験で現役生より1歳年上だということもあり、サークルや部活動へ積極的に参加するだけでなくて、学科間の合同懇親会を開催したり、低学年との交流会などイベントを牽引するポジションになっていきます。

るにお」という名前の原型が生まれたのもこの大学時代で、サッカー選手の「ルーニー」に似ていることからその呼び名付きました。
しかし自分のポジションもあってか、会ったことのない人にまで名前だけが先走って浸透していきました。笑

海外経験と相まって、人とコミュニケーションを図ることに重要性を感じ、次第に先輩後輩の分け隔てなく人をつなぐ架け橋役割をになっていきました。

そんな大学4年間の様々な経験を通して強く感じたことは「何でもやろうと思えば、自分次第で起こせる!」 ということです。
そのため「仮説を立て、それを実証しまた改善していく」という身をもって学んだサイクルを勉学でも成果につながっていきました。
この経験はその後の人生はもちろん、就活でも十分に発揮できたと感じています。

大成功の就活から脱社畜への道

就活は一言で表現すると、大成功でした。
理系の学生は元々あまり多くの会社にエントリーすることが少ないのですが、るにおは7社の大手住宅メーカーを受け、そのうち5社から内諾を頂きました。(ホントありがたいことです)

前述したように大学生活では「自分自信がどんな人間なのか、どうしていきたいのか」などを人に話す機会が増え、「どうしたら相手に伝わるか」をひたすら研究したので、それが成果に繋がったのだと思います。

そして学生のころから「住宅の設計士になりたい!」と思っていたので、会社選びは「自由度が高く、求められる能力が高い」「入社の難易度が高い」、そして「年収がトップクラスに良い」 という基準で会社を決めました。 どの会社でも学力や才能というよりも、ハングリー精神ポテンシャルを買ってもらったような気がします。

そんなわけでるにおは第一志望の会社に入社わけですが、ここで出会ったのは、死んだ魚のような目をした大人たちでした。

死んだ魚のような目をした大人たちに将来を悲観する

給料もよくて、世間的な知名度もあ って、難関の会社に入社できたはずだったのですが、徐々に様子がおかしいことに気がつきます。
当時入社2年目で、仕事が上手くいかないことで悩んでいたのるにおに対してベテラン社員が放った一言は決定的でした。

お前何にそんなに悩んでるんだ?
人生生きてたって良いことなんて何もないぞ。

そしてよく回りを見渡してみると、 社会という荒波に揉まれ不本意な毎日に疲弊している社員の様子に気がついたのです。 それは周りだけでなく、本来希望であるはずのトップ社員でさえ「この人のようになりたい」と全く思えなかったのです。
こんな現状をこれから40年以上も耐えないといけないのか?!」と思い、るにおは将来を悲観しました。

脱社畜への道

ここからはご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
るにおは社会人2年目で脱社畜を決意したわけですが、それまで3年間にも及ぶ計画を立てました。

  1. 大きな目標(一級建築士の取得)を達成する
  2. 社内で何かしらの功績を挙げる
  3. ビジネスマインドを培い、お金を作り出す仕組みの種を作る

 

結論から話すと、これらを達成した社会人5年目に、るにおは脱社畜を果たしました。
2年間の猛勉強で資格を取得し、社内実績では2018年に年間北関東エリア設計作品で3位を頂きました。
またビジネスにおいては、日々多くの書籍に触れ、道中に出会った多様な人々からマインドと教養を培い、2018年にはマンション経営を開始することができました。
本当に濃い3年間でした。

 

この間苦労も非常に多かったですが、やっと自分の人生のスタートラインに立てたように感じています。
目標に向かってというよりは、「死んだように働く人間になりたくない!」という強い思いから毎日を必死で生きてきました。
これは学生の時に身につけたハングリー精神はここでも結果をもたらしてくれる大きな要因となったことは間違いありません。
そしてこれからもこのマインドは変わらないと思います。

夢に向かって

5000字にも及ぶるにおの半生を読んで頂きありがとうございます。
最後にこれからの「」を少し書いてみようと思います。

こんなハングリー精神の塊のようなるにおですが、実は思い描いているのは「日常の幸せ」だったりします。
大きな会社を経営するわけでもなく、世界中の人々を幸せにしたいとか大層な夢ではない、自分の幸せです。

具体的に書いてみるとこんな感じ

夢のイメージ
  • 地方都市でのんびりと家族と一緒に過ごす
  • 時間に余裕があって、子供は3~4人欲しい
  • 地元のコミュニティをしっかり持っている
  • お金にも少しの余裕がある

おそらく自分の育った境遇が出てるかもしれません。
大家族で、賑やかな日常にきっと憧れがあるように思います。

3年間の苦行で気づいたのですが、お金や時間の量で幸せを掴み取ろうとするとキリがないです。
また転職して年収が増えても、時間に余裕がなくなってしまっては本末転倒。
そこで感じたのは「ただ毎日小さな幸せを積み重ねていきたい!そしてその延長線に誰かの幸せがあって欲しい!」ということ。

 

そして今その具体的な計画を動かしています。
本当に小さい種なので、もう少し芽が出てから公開しますが、ワクワクするような事業です!
自分がどれだけやれるかわかりませんが、「後悔のない人生」を送るために毎日夢に向かって進んでいきます。

今後もるにおを応援宜しくお願いします。

2019年1月某日 るにお